豊岡鞄

ウーマンライフ新聞社と高島屋とのコラボレーションで発行している『もちつもたれつ』の秋号では、豊岡を取り上げる予定をしている。

その関係で豊岡にむかった。

アポの時間に合う特急電車がなかったので、

姫路から播但線で寺前へそこから和田山へそしてまた乗り換えて豊岡へと言う経路で出かけた。

西江井ヶ島駅では、横歩きのカニに見送られ、寺前駅からの普通電車は豪華ラッピング電車。

 

豊岡では、ゆくりなくも豊岡鞄の歴史に触れることに。

まずは、お伺いしたマスミ鞄嚢さんのホームページから引用させていただく。

「豊岡における鞄作りの歴史は古く、奈良時代正倉院に上納した「柳筥(やなぎかご)」が残されています。15世紀には、豊岡の「九日市場」から柳行李が広く流通。やがて、西洋文化が一気に流入してきた明治時代には、「行李鞄」が豊岡で誕生しました。柳行李で培った流通経路から、豊岡は鞄産地として全国に知られるようになったのです。」

 

円山川の氾濫原荒原(あわら)地帯に自生するコリヤナギを材料として作られてきた柳行李が豊岡鞄のルーツとは、全く知らなかった。それに革のベルトをぐるりと巻いて持ち手を着け持ち運びできるものとしたのが、豊岡鞄である。

 

ファクトリーショップは、創業者植村賢輔が建てた築90年を超える母屋をリノベーションしたもの。植村社長の生家であった所。大きな太い梁、蔵を改造したオーダールーム、皇太子が使われた舟ダンス、映画ラストレシピで主人公の二宮和也さんが使った大きな鞄も展示してあり、そこからは、一階の作業場も見渡すことができ、裁断やミシン縫製などの作業風景を見ることができる。

 

豊岡での濃密な時間の感動を胸に、帰路向かう。

 

大雨で播但線は不通。

一旦福知山まで出て、尼崎に行き新快速に乗り換えてという大迂回経路。

自宅にたどり着いたのは9時前。

 

なんとかニュースに間に合った。

 

胸がむかむかする事件。

 

安倍晋三氏のご冥福をお祈りいたします。

 

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