メリル・ストリープ プラダを着た悪魔

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ほんまに最後まで期待いっぱいで観てきたのに

裏切られたなぁ。

しかし!

メリル・ストリープ演じるミランダは素晴らしい。

自分の憧れてやまないものだ。

 

以下は我が社のミランダの「シネマ365日」をそのまま転載。

 

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元気女子に乾杯 
 「男前」特集の大トリはメリル・ストリープです。ほんと言うとね、この人のこと、好きとかキライの範疇に入らない女優なのよ。富士山みたいなものです。「神々しい山だ」と言われたら(そうだな)と思うし「日本の象徴だ」と指摘されると(なるほど)とうなずく、「文化財だ」との判断には(ごもっとも)と同意する。つべこべ言う前に「匙を投げる」しかないところがあります。メリル・ストリープは来日しても気軽にテレビのインタビューに出演するし、機知とホスピタリティにあふれた対応はまったく付け入る隙がありません。彼女くらいの経歴になると本の一冊くらいは出ていてもおかしくないのにそれもない。彼女にとって演技する以外はすべて余事なのである。私生活は安定し公私ともにトラブルがない。つまらない揉め事で時間を奪われるのはかなわないから、予期される「トラブルの芽」を注意深く摘んでいるように見える。仕事に集中できるよう細心の周辺整備を欠かさない。それは周到な配慮というより、動物が備える本能的な狡猾に近い▼本作「プラダを着た悪魔」のヒロイン、ミランダも狡猾であることにかけては人後に落ちません。セコイずる賢さではない。彼女の狡猾は哲学と同義語です。感情ではなく私利私欲でもなく、自分が位置する公的立場の「意見の正しさ」でミランダは勝負する。こういうシーンがありました。新入りの助手アンディ(アン・ハサウェイ)が、ミランダがスタッフと打ち合わせしているとき、メモを取りながらクスっと笑う。なにがおかしいのかとミランダが聞く。「わたしには二本のベルトは同じに見えます。こんなのは初めてで」「こんなの?」ミランダの目がピカっと光る。「オーケイ。あなたには関係ないことよね」と静かなほほ笑みで受け止め、こう続ける「あなたは家のクローゼットからその冴えないブルーのセーターを選んだ“わたしは着るものなんか気にしないマジメ人間”ってわけね。でもその色はブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない。セルリアンよ。あなたは知らないでしょうが、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレを、サン・ローランがミリタリージャケットを発表、セルリアンは八つのコレクションに登場したちまちブームになり、全米のデパートや安いカジュアルの店でも販売された。あなたが購入したそのブルーは巨大市場と無数の労働者の象徴よ。でもとても皮肉ね。あなたがファッションと無関係と思ったそのセーターは、そもそもここにいるわたしたちが選んだものよ。こんなの、の山からね」▼アンディは業界のトップビジネスを支配するミランダの、プロフェッショナルとしての造詣になぎ倒されます。メリルはこの映画でセリフを終始ささやくような低い声で言っています。前述の長いセリフも抑揚のない語気と冷たい視線でニコリともしないで述べる。無数の労働者のひとりとして、自力で築き上げた業界のトップランナーとして「こんな」と言われた一言の軽さが彼女には許せない。相手がミランダからすればとるに足りない新入りの助手であろうとズブの素人であろうと、獅子は兎を倒すにも全力をあげる。脚本のアライン・ブロッシュ・マッケンナは自分が思う以上のミランダをメリルは造型した、彼女の演技をみて初めてミランダという人間がわかった気さえしたとどこか答えていました。多分に「主役褒め」が入っていたとはいえ、メリル・ストリープのただならぬ役へのアプローチというか、イメージの像を結ぶ力というか、それは理解とか解釈を超えた、心眼というものによるのかもしれません。そんな神がかり的な言辞をつい弄してしまう腹立たしい女優でもあります▼「たいへん!」ミランダの電話を受けたチーフ・アシスタント、エミリー(エミリー・ブラント)が顔色を変えます。定刻より早く本社ビルの玄関に、ミランダのリムジンが横付けされたのです。「戦闘態勢に入れ!」デザイナー、ナイジェル(スタンリー・トゥッチ)の指示が飛ぶ。バタバタとデスクまわりを整頓する、ドタ靴をピン・ヒールに履き替える、サンプルの衣装を持ちファッショナブルな女たちが形相を変えて走り回る。ミランダが姿を現し歩きながら質問する。答えに対し「あなたの無能のいいわけはけっこうよ。シモーヌに伝えて。あのモデルはサイテー。どこが筋肉質で清潔? 不潔な肥満体よ。パーティは出席。運転手に伝えて。会場へ9時半到着、9時45分退出」。アンディは鬼のようなミランダの酷使にネをあげナイジェルに訴える。「必死で努力しているのに認めてくれない。ほめてくれない」ナイジェルは言う。「じゃ辞めろ。君の代わりは5分で見つかる。君は仕事をしていない、愚痴を並べているだけだ。ミランダは自分がやるべきことをやっている。君はわれわれの〈ランウェイ〉をただの雑誌だと思っているのか」そう思っている、だから「こんな」という言葉が出るのだ、とナイジェルは指摘したのと同じだ。アンディは言葉に詰まって返答できない。≪ランウェイ≫とは「単なる雑誌以上にエレガンスと気品の道標だ。ミランダはその守護神として世界の人々に美の基準を示してきた」そんな気持ちで打ち込んできたナイジェルやミランダとの、仕事に対する愛とスピリッツの相違にアンディは打ちのめされる▼もっと若い感性と安い人件費でという名目のもと、ミランダ追い落としの陰謀があることを知ったアンディは、必死でミランダに知らせようとする。ミランダのほうが先に感づいていていちはやく手を打ったのですけどね。エンドはしかしこうなります。一年もたたずアンディは〈ランウェイ〉を辞める。私生活がめちゃめちゃになった、恋人とも別れた、ミランダは二度目の離婚だと聞いた、こんなの人間の生き方じゃないわ…そして新聞社へ求職する。責任者がアンディの前職に問い合わせるとミランダ本人がファクスで回答してきた。「彼女ほど期待を裏切られた助手はいません。もし彼女を採用しなかったらあなたは大バカです」。アンディはめでたく就職し恋人とも復縁、物書きとして再出発する。でもここで首をかしげた人いない? じゃなんのためにアンディは〈ランウェイ〉に就職したわけ。一時の小づかい稼ぎか。そういえば給料が安くて人使いが荒いと愚痴っていたわね▼志が低いわ。そこでもう第一線脱落よ。新聞社でも同じこといいだすわよ。成績優秀なのだから始めから新聞社を受ければよかったのよ。そもそもアンディには(ファッション誌なんか)という見下し目線があったじゃないの。劇中みるみる垢抜けたいい女になって目を見張らせてくれたのに、それも結局「私には向いていないのよ、大学をトップで出たわたしに〈こんな〉仕事は不向きだわ、問題を社会に問う職場がわたしの居場所よ」となった。おまけに恋人に「許して。わたしはともだちや家族、自分の信念に背を向けていたわ」。価値観はひとそれぞれだからといえばそれまでだけど、アンディの前向きな変身に(おお、頑張れよ)といっしょになって応援する気になっていた観客の、特に仕事する女たちの思いとしてはみごとに肩すかしであろう。ヘンな妥協なんかアンディにさせるから、女に対する最後の一撃が社会では待ち構えているのよ。すなわち「なにをやらせてもしょせん女」。この現実をわかっていた人、製作者や監督や脚本家や女優たちを含め何人いたでしょう。見終わったあと「あんた、世界的企業のトップを狙えるポストが目の前にあるときに、どうする?」「棄てるのはケータイじゃなく男のほう」「あの子(アンディのこと)おかしいよね」なんて、映画館をでながらぶつぶつ言っていた市井の、無名の女たちこそが肌感覚で、この映画にある甘さがわかっていたのでしょうね。「男前」は彼女たちだな。いつの世も、しっかり前を見て歩くクールな元気女子に乾杯。